「農業のIT化」という言葉を聞いて疑問に思う人がまだ多いかもしれない。自然相手の農業にITをどのように活用するのか、と。例えばパソコンで農作業日誌をつけて次年度以降の作業計画の参考にしたり、収穫量を記録したりして、生産計画に生かすというような地道な取り組みも、立派なIT利活用と考えることが出来る。こういった個々の取り組みが進むことによって、いずれはビッグデータにつながり、それまで勘と経験に頼らざるを得なかったベテランの能力を科学的に数値化することが出来るかもしれない。そうなれば多くの次世代農業での利用シーンが想定され、さまざまなイノベーションが生まれることは間違いない。

◇先駆的取り組みはまだ5%?

しかし、このような地道な作業を続けても定量的な効果が見えにくいので、途中で断念する人も多く、ビッグデータまでの道のりはまだ果てしなく遠い。最近は「農業IT」が、メディアにも多く取り上げられていることから、多くの農業者がIT導入し、進化していると思われている。しかし感覚的には、全体の5%程度の先駆者が自分の求める効果を出そうと必死にトライアルしている段階で、残りの95%は、状況を眺めながら、早期成功モデルの構築を期待して待っているというのが現状ではないだろうか。
ITを利活用している農業者の現在の主な取り組みは、下記の四つに分類される。

  1. 各種センサーを活用した遠隔統合施設制御
  2. GPSを活用した農業機械の精密制御
  3. スマートフォン、タブレットを活用した作業・生育管理
  4. POSと栽培・在庫情報連携による販売管理

この中で最近多く利用されはじめているのが、「スマホ、タブレットを活用した作業・生育管理」である。今までノートや手帳に付けていた作業履歴や生育状況等をスマホやタブレットを活用することにより場所を選ばずタイムリーに記録・閲覧が出来るようになった。さらに、記入した本人だけでなく全ての従業員が作業の進捗(しんちょく)状況、作物の生育状況を、組織・企業内で共有することができる利点も加わった。
ある農業生産法人では、1日の終わりに関係者全員が集まり、これら蓄積された写真やデータを使って作物に発生している病気や害虫の対処方法から作業の仕方、進め方のミーティングをするという。これにより、今まで個々の従業員が見て経験して学んだことを、(ミスも含め)複数の従業員で共有することができるようになり、早期人材育成につながるという期待もあるようだ。また個々の従業員が優先順位を意識して行動出来るようになり、適した時に適した作業が出来るようになることから、人的ミスのリスクヘッジへとつながる効果も出てきている。

◇家族間、バリューチェーンでの活用

農業にITを導入するメリットは、家族間継承の場合にも大いに効果を発揮する。例えば、父親存命中は一般企業に勤めており、父親他界後に農業を継承する場合、父親のノウハウはデータとして残されていないと、ゼロからの挑戦となるため品質が大幅に低下して、顧客離れにつながる。これを恐れた現役世代が自分の後継者の為にノウハウを残そうとIT導入を決める事例も出て来ている。
既に大手流通・小売と取り引きしている農業者は、システム上で日々の作業の記録(主に農薬・肥料の散布履歴)の入力を義務付けられてはいるが、現システムは大手流通・小売サイドのトレーサビリティーを意識したものであり、蓄積されたデータを農業者が後に利活用することによるメリットまでは想定されていない。今後は、農業者サイドと大手流通・小売サイドだけでなく、食のバリューチェーン全体のステークホルダーがそれぞれの立場で役立つ情報が得られるプラットフォーム形成が求められて来るだろう。

◇人的ミスの回避のため

なぜこのような一元化されたプラットフォームが現段階で確立されていないのかという原因の一つに農業者の誰でも使える仕組みを作るのが困難であるということが考えられる。農業者は両親が長年守ってきた土地を受け継ぐ者、全く新規に異業種から参入する者とさまざまな経緯で就農してくる。従って経験をベースにそれぞれが独自の成長をしていく職業であり、十人十色の手法やこだわりがある。その結果、IT関連企業がある農業者からヒアリングして作り上げたソリューションは別の農業者には当てはまらず、「使うことが出来ない」という評価につながってしまうのである。
なぜ今農業にITが必要なのか。その理由のひとつに農業経営体当たりの耕作面積が年々増加していることが挙げられる。経営規模が拡大した結果、今まで自分の頭の中だけで出来ていた各種経営判断が困難になって来ている。同時に、人的リソースも家族だけでは賄えなくなり、従業員を雇う農業生産法人などの経営体が年々増加している。その結果、家族間の「一子相伝」的な農業では存在しなかった課題が多く発生しているのである。
例えば、「農薬を散布する」という行為一つとっても、多くの圃場を所有し、多くの従業員を雇っている組織においては、前回散布を行った作業者と同じ作業者が散布するとは限らず、その結果、散布回数ミスが発生する可能性が増大する。また従業員の定着率が低い組織では人の出入りを機に同じミスが繰り返されるということもある。ある大規模農業生産法人の代表者は「自然災害よりも人的ミスが恐ろしい」と語っているほどである。意外だが、大規模農業者は、人的リソース不足や優先順位の判断ミスなどにより、単位面積当たりの収穫量が小規模農業者を下回る傾向にある。

◇農業にもITのビッグウエーブ到来

現状を打破し成長するには、まず自らの組織の現状がわからなければならない。複数の個人農家が集まり農業生産法人としてスタートした組織では、同じ組織でありながら大小さまざまな生産方法の違いが存在している。ITを導入するには、組織として一本化した生産方式を明文化するところから始めなければならない。他業種のように役割や業務フローを明確化し、組織としてのルールを一つ一つ作り上げて行くことが前提になるが、その結果、従業員個々に責任感が出てモチベーションが向上するといった定性的なメリットもある。
現在他産業においてはITが使われない業務シーンはほぼ無くなり、ソリューション提供ビジネスを展開するIT企業はここ数年、農林水産分野をターゲットとした新たなビジネスモデル創造の模索をしてきた。日本全国でさまざまなすばらしい取り組みが展開されており、新たなビジネスにつながるのはそう遠くない。先月改訂された「農林水産業・地域の活力創造プラン」においても、基本的考えとして「ICTを活用したスマート農業」を推進することが明記されている。このように「農業IT」に関するビッグウエーブは確実に起こり始めている。