昨今、日本の農業の匠の技術を形式知化して、海外に輸出して行くという施策が、メディアなどでも取り上げられている。しかしながら農業界、特に生産現場におけるデータに関しては、現時点ではまだ「ビックデータ」というレベルには至っていない。これらのデータは、地域ごとの土壌・気候などに大きく左右され、日本標準モデルや県標準モデルを作っても、エリアが広すぎてしまい結果的にどこにも当てはまらないモデルになってしまう。

◇作付けコンシェルジュも

今は、組織・企業内で蓄積された作業やコストの実績データを分析することにより、経営や生産の判断にどう生かせるかトライアルをしている段階であり、下記のようなさまざまな知見につなげる試みが始まっている。

  1. 作業時間から人件費の把握
  2. コスト明確化により、削減ポイントを把握
  3. 品種毎の収益性から、作付け品種を選定
  4. 需要と供給の格差の軽減

これらがある一定のデータ量となれば、農業の匠の技術を形式知化出来るメソッドの確立につながり、リスクを最低限にし、最大収益を得るためのシミュレーションが可能になる。これが、現状では「一か八か」の判断に頼らざるを得ない農業生産者にとって、最も求められている機能だと思う。

例えば、圃場での作業時間を日々記録することで、正確な圃場ごとの人件費の把握が可能になる。
想定販売額に対し、播種してから現在までの現状コストのタイムリーな把握が可能になる。これにより、何らかのミスが発生した場合に、その後「安価な農薬や資材に切り替える」、「歩留まりは下がるが人件費を抑える」といったリカバリーを実施するという判断が可能になり、最終的に赤字になるリスクを回避できるようになる。

また、大規模農業法人では、顧客である大手流通・小売から年間の安定供給を要求される。従って、約束した収穫量確保のために、同じキャベツであっても複数の品種を使って、少しずつ播種時期をずらして栽培をしている。毎年、過去の経験から試行錯誤しながら計画を立ててみるものの、パラメーターが多く、さらには記憶違いなどもあり、なかなか思い通りにいかないと嘆く農家が多い。過去の作業履歴・環境履歴・収穫履歴・販売履歴などのデータが正確に蓄積出来るようになれば、これらのデータベースを元にその年の月々の予定出荷量を設定するだけで、現時点で考えうる最適な作付計画の作成が可能となる。

この作付計画のシミュレーション手法が確立すれば、将来的には、さらに一歩先を行く「作付けコンシェルジュ」のような機能も想定出来る。これは、過去の作業履歴・環境履歴・収穫履歴・販売履歴などから最大収益を得られる作付計画を全品目・品種を一括して行ってしまう機能である。例えば、「今年の気候は、現時点において2005年に類似している。この年は、ニンジンは収益率が悪く、キャベツは良かった。したがって今年は、ニンジンを減らし、キャベツを増やした方が良い」といったアドバイスが可能になる。

◇こだわりのイチゴ、病害虫対策でも

露地栽培で、天候と同じく常に意識しなければならないのが、病害虫である。現時点では地方自治体が発生状況などを発信しているため、都道府県を越えてしまうと情報が少なくなる。全国レベルで自分の作付けしている作物に関する病害虫の発生状況をタイムリーに把握出来れば、事前に対処をしておくことが出来る。病害虫は、新規就農者などでは判断が難しく、ベテランであっても類似の病気と間違って判断する可能性もある。日本全国の農業生産者が病害虫の写真を撮影し、それがデータベースに蓄積されることで昨今の画像解析技術により、撮影するだけでその病名、対処方法を瞬時に得られるようなサービスも生まれるかもしれない。

匠の技術も、ITの利活用により形式知化できるかもしれない。農業の匠と言われる人材は、長年の経験と勘だけで判断しているわけではなく、さまざまなパラメーターを得て、それを複合的に判断し、意思決定している。従って匠が何かを判断する際に、どんな情報を得ているのか、そこでどんな判断をしたのか、その結果が良かったのか悪かったのか、といった情報を全てデータベースにすることで、将来的に経営者や作業者が交代しても、過去の成功事例・失敗事例が継承され、品質・コスト共に維持可能となる。これが組織・企業としての独自のノウハウとなり、ブランド力の維持・向上、結果的に事業継続・継承につながるのである。

宮城県の株式会社GRAの岩佐大輝さんは最先端のITを駆使し、「ミガキイチゴ」というブランド名での生産に成功している。「ミガキイチゴ」という品種を作ったのではなく、製法や品質をITで管理し、「こぶし大の一粒1000円のイチゴを作る」という独自の「こだわり」を実現したイチゴに、ブランド名を付けて販売している。今まで農作物のブランドは「魚沼産コシヒカリ」のように土地にひも付いていたが、こうした形で、全国各地で「ミガキイチゴ」が作れることになる。こうしたブランド戦略が成功すればどんどん生産量を増やすこともできる。これは土地にひも付いたブランドではできない。昨今、グローバルGAP ( Good AgriculturalPractice)という欧州で確立された認証制度を活用する農業生産者が増えてきた。この規範を取得するには、役割分担や業務フローなどを明確化にすることが必須とされている。これにより、十人十色であった農業生産者の定型化が進み、結果的にITを導入しやすくなると見込まれている。

◇リアルとバーチャルの融合

農業生産者は、まだまだコンシューマーに近い存在であることを意識し、コンシューマー機器との連携もIT普及の一助になると考えられる。仕事から帰って来て、ビール片手にテレビを見るというのが農家の生活スタイルだろう。そうした習慣の中で、帰宅後さまざまなデータをパソコンなどで入力をしてもらうのは困難である。テレビのCMのタイミングでハウスの映像に切り替えられるなど出来れば、農業生産者に受け入れやすい仕組みとなるのではないか。

果実などは、共同選果といわれる手法で色や糖度により分類され出荷されて行くケースが多いが、ある選果場では、農業生産者が個々に選果を行い、それぞれの成績を明らかにすることで、自分が地域全体のどのポジションにいるのかが把握できる仕組みを構築した。
これにより、次年度以降の自分の目標ポジション(年収)が想定でき、それに向けて努力する体制となり、地域全体の品質が年々向上しているという。

株式会社テレファーム(愛媛県松山市)の遠藤忍さんが提供しているのは、リアルとバーチャルを融合した非常に面白いサービスだ。インターネット上で農薬、化学肥料を一切使用しない有機栽培野菜の遠隔栽培を行うことが可能で、実際の農場と連動しており、WEB上で指示した通りに農場でも栽培し、収穫された有機栽培野菜が自宅に届けられる。これにより今までは収穫した物が売れるまで収入が得られなかった農家も、毎月支払われるサービス利用料により、収穫前でも毎月一定の収入を得ることができるようになり、安定収入が実現できる。消費者も安心・安全な有機農産物を手に入れるだけでなく、自分で育てる楽しさという付加価値が得られる。

◇知財が農家の新たな収益源に

さまざまな取り組みによってデータが集約されビックデータとなり、最先端のITを駆使してデータ分析することで新たな価値が生まれる。作付計画や人材や農機の適材適所配置などさまざまなシミュレーションができるようになる。これにより「安心・安全な日本の農業のノウハウ」は、実際の作業とそのデータ、及びその効果が結合されてルール化され、「知財」になる。今まで生産物だけだった農家の収益源に「知財」という新たな収入源が加わるわけだ。さらにその地域や企業ならではの品質や製法などの「こだわり」や「物語」を明文化し、オープンデータ化、共有化する事で、「ブランド」価値の維持・向上につながり、地域の活性化にも貢献できる。

◇生産現場でのITニーズ

農業現場ではIT利活用している人が少ないと思われている。その理由として「高齢者が多いためにITリテラシーが低いのではないか」と考える人が多いであろう。しかし、2012年に農林水産省が実施したモニター調査によると農業生産者の約80%はパソコンを所持し、約90%は携帯電話を所持している。さらに、農業経営にIT機器を活用している人も50%を超えている。IT機器を経営に利用しようと思わない人の理由の40%が「経営規模が小さく必要がないため」としているが、年々農業法人の数は増加しており、1経営体当たりの面積も10年間で倍増している。
従って、経営規模は今後も増加傾向にあり、ITの利活用が進むと考えている。